aksy1005の日記

双子育児と義母の介護、夫のうつと戦う日記

いつまで続くの?義母介護の現実

改めて、私の今の状況を整理します。

 

現在、2歳の双子の育児と

難病を患った、まだ若い義母の介護、

そして、時々うつ状態になる夫と暮らす、

30代前半の専業主婦です。

 

考えても仕方ないのに、

 

「義母が病気にならなければ」

 

とつい想像してしまいます。

 

今頃私たち家庭は、可愛い年頃のこどもたちを中心に、穏やかで明るい生活を送れていたのかな、と。

 

 

そしてまた、考えてしまうのです。

 

 

この状況は、いつまで続くんだろう」と。

 

 

こどもたちのおもちゃの部屋として使用していた部屋が、今では、義母の部屋となり、介護用ベッドとポータブルトイレが置いてあります。

 

「将来的に子どもたちの部屋、どうしようか?」

 

ふと、夫が私に言ったのです。

 

とても複雑な気持ちになってしまいました。

 

 

 

前回のブログで綴ったように、義母への想いと裏腹に、思ってはいけないことを思ってしまうほど、色々想像してしまうのです。

 

約1年程前、病気になった時の義母の姿はまるで痛々しく、可哀想で、元気だった頃を思い出してお別れが来るのではないかと、私はよく泣いていました。

 

 

しかし、良いことなのにどんどん回復していく義母をみて複雑な気持ちになってしまいます。

 

 

いつまで続くのだろう。

 

 

いつまで義母中心の生活が続くのだろう?

 

 

そんなことを、思ってしまうのです。

 

 

義母の許せない一言と、それでも冷たくできない訳

前回までのブログで綴った一連の「離婚騒動」の中で、どうしても心に引っかかった、義母のある言葉がいまだに私の中で昇華できずにいます。

 

 

それは、夫から「離婚したい」と言われ、夫婦で話し合った後のことです。

義母もそのことを心配していたので、私は「離婚の話はひとまず保留になった」と伝えました。

 

すると義母はこう言ったのです。

 

 「あ〜よかった。私は自分の身を案じてしまったわよ。

自分はこれからどう生活していこうかと考えたら、夜も眠れなかったの。」

 

 

 

 

ここだけ、ここでだけ、言わせてください。

 

 

 

誰のせいで、こんな状況に追い込まれてると思ってるんだーーーー!!!!

 

 

離婚騒動の原因は、夫の「余裕のなさ」。そして経済的不安が夫の精神を落ち込ませていたことが根本にありました。

 

 

正直、義母にかかる経済的負担がなければ、私は専業主婦のままでいられたかもしれないし、レジャーや旅行など、ほんの少しの「息抜き」を楽しめる余裕もありました。

 

けれど現実は違います。

 

義母にかかる費用は莫大。

息抜きに使えるお金なんてなく、

さらに介護、病院、そして数々の手続き…。

 

時間も、体力も、気力も、削られていく一方です。

 

 

 

そんな中で義母が心配していたのは、

「自分のこれから」だけだったこと。

 

その言葉を聞いて、私は呆れてしまいました。

 

 

 

それでも…

 

 

 

 

私は義母を家に迎え入れてしまいます。

そして、できる限り、優しく接しています。

 

 

 

 

それは、やっぱりどこかで

病気になったのは、義母のせいじゃない。

と分かっているからです。

 

 

 

義母は、本当に優しいお姑さんでした。

 

7年も子どもに恵まれなかった私に、

一言も焦らせるようなことは言わず、

双子を授かったと伝えた時には涙を流して喜んでくれました。

 

妊娠中はもちろん、産後の不安定な日々も、毎日家に来て、双子の世話と私への気遣いに尽くしてくれました。

 

 

 

もちろん、毎日顔を合わせる中で、

些細なモヤモヤはたくさんありました。

 

それでも、あの頃の私にとって、義母の存在は本当に心強かった。

感謝の気持ちは、忘れることはできません。

 

 

だからこそ思ってしまうのです。

 

「義母にとって、何が一番幸せだろう?」

 

たとえば、孫の成長を近くで見守れること。

それが、義母にとって一番うれしいことなのではないかと。

 

 

 

 

でも、やっぱり――これはとても難しい問題です。

 

 

 

義母への感謝と、今の私の現実。

 

夫の協力が得られない中での双子育児。

介護、そして夫のうつ病

 

 

 

これから私は、

「誰のために」「何を優先して」生きていくのか

もう一度、ちゃんと考えなくてはいけないと思っています。

 

 

夫から別れようと言われた日【終結】...

※この記事は前回の続きです。

 

朝、私は怒りながら仕事に向かう夫の背中を見送りました。

 

なんともやるせない気持ちになり、私は悟りました。

 

私は一人で、子どもたちを支え、介護を必要とする義母を支え、時にうつ状態になる夫まで支えなければならないのか。

 

――私は、そこまで強い人間ではありません。

 

その思いをこらえきれず、母に電話をして「無理だよ!私にはできないよ!」と感情をあらわにしてしまいました。

 

この日は一日中、気持ちが重く、苦しい時間を過ごしました。

 

でも、私がどんなに苦しんでいても、義母は予定通り泊まりにやってきます。

 

気持ちを何とか立て直し、私は改めて、夫とちゃんと話そうと決めました。

 

 

その夜、夫と話し合いました。

 

まず私は、

 

「理由があったにせよ、夫くんが私の言い方に傷ついたなら、それはごめんね」

 

と伝えました。

 

夫はまだ暗い表情のまま、「うん」とだけ頷きました。

 

そして、しばらくの沈黙の後、ぽつりと、

 

「俺、なんでこんなに落ち込んでるんだろう」

 

と言いました。

 

「仕事が大変?」と聞くと、「いや、仕事単体はそれほどでもない」と。

 

「家の外仕事(草刈りなど)が大変?」と聞いても、「それもそんなに」と。

 

私は心の中で(普段育児も家事も、義母の介護も私に任せっきりなのに、何にそんな余裕がないの?)と思っていました。

 

すると、夫が口にしたのは――

 

「お金だ」

 

という一言でした。

 

「俺たち、どこにも出かけてないのに、どんどんお金が減っていく」と。

 

確かに、休日に子どもたちと行くのは公園ばかりで、お金のかかるレジャーにも旅行にも行けていません。

 

 

まさに【この状況】のせいです。

貯金のない義母にかかる費用が私たちの暮らしを苦しめていました。

 

 

原因はあるにしても、正直言って、「お金」の話をされると、専業主婦である私にとってもとても耳が痛いです。

 

だからこそ私は提案しました。

 

「私も働くことを前提に、義母の介護体制を見直そう」と。

 

今の施設を利用し続けるのかどうかも視野に、いくつかパターンを出しながら話し合う中で、夫の表情がようやく少し和らぎました。

 

そして夫はようやく、

 

「別れようって言ってごめん」

 

「許してほしい」

 

と謝ってくれました。

 

「これからも大変だけど、2人で乗り越えていこう」

 

そう話して、今回の騒動はひとまず終結しました。

 

 

 

 

今、この騒動から1週間が経ちました。

時間が過ぎていく中で、どうも「めでたしめでたし」で終われない自分がいます。

 

 

 

ブログを書くことは、自分自身を客観的に見るきっかけにもなります。

 

今回の出来事――その発端をたどっても、「なぜ『別れよう』と言われなければならなかったのか?」というモヤモヤはまだ消えていません。

 

 

そして最近、私は自問自答します。

 

「私は、なぜ離婚したくないのだろう?」

 

 

もう少し、このブログを続ける中で、

自分の人生にも、真剣に向き合ってあげたいと思います。

 

 

 

 

最後に。

 

ブログを読んでくださっている皆さま、共感してくださる皆様、本当にありがとうございます。

 

私の実家やごく一部の人にしか話せないようなことを、こうして知ってもらえることが、どれだけ励みになるか分かりません。

 

いつまで続けられるか分かりませんが、

よろしければ、これからもお付き合いください。

 

 

夫から別れようと言われた日【話し合い】

※この記事は前回の続きです。



夫から「別れよう」と言われた夜。私は2歳の双子とともにビジネスホテルで一泊しました。

そして翌日。
私たちは再び、家に戻りました。

その日、仕事に出ていた夫はいつもより3時間ほど早く帰宅しましたが、帰ってきてすぐ、そそくさとどこかへ出ていこうとしました。

私は玄関でその夫を引き止めて、「話そう」と声をかけました。

すると、夫は短く「やだ」と。

表情はどこかうつろで、落ち込み、とても暗い様子でした。
「今は何を言っても届かない」――そう悟りながらも、私の感情も限界を超えていた為、
涙ながらに、こう訴えかけました。

「本当に本当に本当に、これでお別れでいいの?
こどもたち、あんなに可愛いのに一緒に成長を見られなくなるんだよ?
後悔しない? 一時の感情じゃないんだね?
ひとりぼっちになっちゃうよ?」

 

夫は、ぽろりと涙を一粒だけこぼしながら、短くこう答えました。

 

 

 

「いい」

 



私の心は、これまでになく大きく大きく揺れました。

でも私には、幸いなことに、遠方ではありますが、
話を聞いてくれる母や父、妹、そして叔母がいます。

電話で気持ちを吐き出しているうちに、徐々に落ち着きを取り戻していきました。

そんな中、叔母からふと聞かれたのです。

「ところで、離婚したい理由は何なの?」

 

その言葉にハッとさせられた私は、夫にLINEでこう伝えました。

「結論が変わらなくても、どうして別れたいのか理由を教えてください。
こどもたちも含めた4人の人生が大きく変わることだから、親として、責任を持って話したいです。」

 

すると、夫はこどもたちが寝たあと、家での話し合いに応じてくれました。



結論から言うと、夫の「別れたい理由」は、「自分に余裕がないから」でした。

「余裕がないから、私に寄り添うこともできない」
「喧嘩も口論もしたくない。だから別れたい」――というのが夫の主張でした。

 

話し合いを続ける中で、私たちは、
今の家庭環境そのものがすべての元凶なのだという認識を共有できるようになりました。

2歳の双子の子育て、まだ若い義母の介護

伸し掛かる数々の負担――。

私は、この“状況そのもの”が重たすぎて全ての元凶だと思いました。

夫が「私そのものが嫌になって」別れたいわけではなさそうだと分かった私は、
こう提案しました。

「この状況がずっと続くとは限らないし、慣れてくることもあるかもしれない。
だから、あと1年だけ頑張ってみない? 離婚はそのあとでも遅くないと思う」

 

夫もこの提案を受け入れてくれました。
とりあえず、別れ話は保留。ようやく落ち着きを取り戻せる、そう思っていました――。



ところが翌朝、夫の表情にはまだ陰りがあり、まるでうつ状態のように見えました。

そして、こういう時に限って、夫は「普段しない行動」をするのです。

この日は、いつも私が用意しているはずのお弁当を、
なぜか自分で作っていました。

また、朝からやらなくても良いのにお風呂掃除まで行っていました。

声をかけたくてもかけられない、重たい空気。
やらなくてもいいことまで抱え込んで、自分を追い込んでいるように見えました。

私はその様子にもやもやしながら、
昨夜の「2人で乗り越えよう」という話し合いが、まるでなかったかのような態度に、言葉を失いました。



そして、出勤前の夫がぽつりと言いました。

 「どうしよう。今日、17時に帰ってこられないかもしれない」

 

この日は、義母が17時頃家に来る日でした。

今まで一度もそんなことを気にしたことなんてなかったのに――。
私は思わず言ってしまいました。

 

「なんで? 夫くんがいないといけないの?私がいるからいいけど?」

 

内心は、いい加減にしてよという思いでいっぱいでした。

 

すると夫は逆上。

「なんでそんな喧嘩腰なの!!」
「だから別れたいって言ったんだよ!」

 

こう言い放ち、そのまま仕事へ向かっていきました。

 

長くなってしまったので、続きは次の記事にて綴りたいと思います。

夫から別れようと言われた日

離婚騒動にまで発展したのは、義母が初めて家に2泊したときのことでした。

前回のブログにも書いた通り、義母は重度の潰瘍を抱えていて、その処置は施設に常駐する看護師さんが毎日行ってくれています。

2泊の自宅滞在にあたり、義母自身で処置ができるよう練習をしていると施設のケアマネジャーから聞いていました。
家族としては、包帯を渡すなど簡単なサポートをお願いしたいと連絡を受けていたのです。



ところが、いざ義母が家に来てみると、処置はとても義母が自分でできるような内容ではありませんでした。
深い傷口の洗浄、軟膏塗布、包帯……。立つことさえ困難な義母が洗面台に立ち、病気の為震える手でこれらをこなすことは難しいように思えました。

最終的に、仕事が休みで家にいた夫がすべての処置を行いました。

私は傍らでその様子を見ていましたが、途中で子どもたちに呼ばれたり、あまりに傷口が深くて目を逸らしたくなったり……。
処置には30分近くかかり、「これを夫が不在時に私ひとりでやるのは無理だ」と強く思いました。



義母が入所している施設は高額ですが、自宅への送迎や訪問看護も含まれています。
ケアマネジャーとの打ち合わせでも、「訪問看護は料金内で可能です」と繰り返し説明を受けていたため、私はその点に安心していました。

ところが、この日、施設の所長から私に直接電話がかかってきました。

「お母さんのケア、ご家族でサポートできそうですか?」

 

私は正直に、処置は夫がすべて行ったこと、私一人では子どもを見ながら対応するのは無理であること、訪問看護をお願いしたいことを伝えました。

すると所長はこう言いました。

「それでは今からご家族に指導に伺います」

 

私は驚き、

「いえ、指導ではなく、できると聞いていた訪問看護をお願いしたいんです」

 

と返すと、半ば語気を強めるように、

「それはできません。だからご家族でできるように指導に伺うと言ってるんですよ」

と強い口調で返されました。

私は、施設に裏切られたような気持ちになり、怒りと悲しみに声を震わせながら「わかりました。難しいけど、頑張ります」と答えるしかありませんでした。


やるせない気持ちのまま、この出来事を夫に伝えました。
夫もさすがに「それはおかしい」と思ったようで、施設に確認の電話をしてくれました。

その結果、夫からは

訪問看護は“毎回は難しいけど”利用はできるって言われた」

 

との返答がありました。

でも、その言い方がまるで「これでいいか」と言わんばかりで、私の疑問や不安に寄り添っているとは思えませんでした。

私は「どうして所長は“できない”って言ったの?」「“毎回は難しい”という話は今まで聞いてなかったよね?」と聞き返しました。

すると夫は、

「俺の聞き方が悪かったってこと?!」
「もう一度電話すればいいんでしょ?!」

 

と、私を責めるような口調で言ってきました。



さらにその場にいた義母がこう口を挟んできました。

「まぁまぁ○○ちゃん、そんなに怒らないで」
「傷の処置は私がいれば大丈夫よ」
「あまり騒ぐと、施設に居づらくなるから穏便にね」

 

その瞬間、私の中の何かがプツンと切れました。

「施設も、義母も、夫も、誰も私に寄り添ってくれない」――そう強く感じてしまいました。

怒りと悲しみが入り混じった私は、咄嗟に子どもたちを連れて家を飛び出しました。


時刻は夜。行き先も、頼れる人もいません。
私は隣町のビジネスホテルに向かいました。

ホテルの前に着いた頃、ようやく夫から連絡がきました。
直前に義母から「連絡してあげなさい」と言われたのだと思います。

私は心の中で、「今どこにいるの? 話し合おう」と言ってくれるなら帰ろう、と思っていました。

けれど――

夫の第一声は、

別れよう

でした。

そして続けて、

「無責任かもしれないけど、子どもたちは○○の実家に連れて行ってほしい」

 

と。


-私は呆れと怒りで、「わかった」とだけ伝えて、そのままホテルに泊まりました。

最初は怒りで気丈に振る舞っていましたが、
時間が経つにつれて、虚しさと悲しさがこみ上げてきて、
こどもたちがいるのに涙が止まりませんでした。

 

 

この続きは、次の記事で綴りたいと思います。

義母の自宅介護と夫から欲しかったことば

現在、義母は小規模多機能型居宅介護の施設に入所しています。
難病指定されており、腕には深い潰瘍が数か所あるため、そのケアは施設に常駐している看護師さんにお願いしています。

ただ、看護付きということもあって費用が高額です。
義母には貯金がなく、支払いは私たち家族の貯金からまかなっている状況です。

そこで、少しでも費用を抑えるため、
義母に定期的に一泊ずつ、徐々に増やしていく予定で、自宅で過ごしてもらうことになりました。



私は専業主婦ですが、実家が遠方な為、頼れる人はおらず、
2歳の双子の育児をしながら、義母の車椅子生活を支えることになります。

当然不安はありましたが、「お金のためなら、やるしかない」と、介護を引き受ける決意をしました。



でも、心の中でどうしても割り切れなかったことがあります。

それは――夫から「寄り添いのことば」が一度もなかったことです。

夫は学校勤務で、忙しく働いてくれている為、義母の介護に関わるのは現実的に難しい状況です。

ベッドやポータブルトイレといった福祉用具の手配やその為の打ち合わせ、また準備は、夫不在の中でも進めるしかありませんでした。



私が「明日、福祉用具の打ち合わせがあるよ」と言っても、
夫の返事はただ一言、「うん」。

「打ち合わせ、無事に終わったよ」と伝えても、「うん」。

「明日、いよいよお義母さんが家に来るよ」と言っても、「うん」。

義母を見送った後、「なんとか家で過ごせそうだね」と言っても、「うん」。



義母は夫の母親です。

もちろん、「夫の代わりに私が介護を担うのは当然」と考えられても状況的に不思議ではありませんが、
私は、「俺いないけど悪いな」「よろしく」「ありがとう
そんな、ほんの一言を望んでいました。

感情がこもっていなくても構わない。
ただ、その一言が欲しかった。



私は、毎回その一言を引き出したくて、何度も何度も話題を振りました。
でも返ってくるのは、いつも同じ「うん」だけ。

そのたびに、心がしぼんで、虚しさと苛立ちが募っていきました。



夫が私に寄り添ってくれないと感じる出来事は、これだけではありません。
やがてそれは、離婚騒動にまで発展する大きな出来事へとつながっていきました。

この続きは、また次の記事で綴ろうと思います。

 

言い合うことでわかり合えると思っていました

義母が入院してから、私と夫の関係は何度もぎくしゃくしてきました。

最初のきっかけは、私の育児疲れでした。
当時1歳だった双子の育児はまだまだ手がかかり、実質的に頼れるのは夫しかおりませんでした。


私は夫に「状況をみてもっと察してほしい」という気持ちを抱えていました。

そんな思いが積もって、ある日、言い合いになりました。
夫からは「あとから言われても分からない」と言われ、私は反省しました。


これからは、育児や家事に行き詰まったときには、その場で「助けて」と伝えようと決めました。

お互いに思っていることを口に出せたことに、少し安心もしていました。
「これで少しずつ分かり合えるかもしれない」
――そう思っていたのも、ほんの束の間でした。

 

この言い合いのあとすぐ、夫は慣れない深酒を始めました。
そしてまるで念仏のように、こんな言葉を繰り返しました。

「仕事しなきゃ」
「草刈りしなきゃ」
「家事もしなきゃ」
「育児もしなきゃ」
「誰も助けてくれない」
「お父さんはなぜ死んだのか」
「死にたい……」

先のブログで綴ったように伸し掛かる数々な負担が彼の心をそうさせたのだと思います。

このとき、私はどうしたら良いか分からず、私が不満を言ったことがいけなかったのかと自分を責めました。
言いたいことも言えないのか、ととても悲しくなったことを今でも覚えています。

 

この出来事を皮切りに、
「私が不満を言う → 夫の精神が落ち込む」
という構図が、何度も繰り返されるようになりました。