前回までのブログで綴った一連の「離婚騒動」の中で、どうしても心に引っかかった、義母のある言葉がいまだに私の中で昇華できずにいます。
それは、夫から「離婚したい」と言われ、夫婦で話し合った後のことです。
義母もそのことを心配していたので、私は「離婚の話はひとまず保留になった」と伝えました。
すると義母はこう言ったのです。
「あ〜よかった。私は自分の身を案じてしまったわよ。
自分はこれからどう生活していこうかと考えたら、夜も眠れなかったの。」
ここだけ、ここでだけ、言わせてください。
誰のせいで、こんな状況に追い込まれてると思ってるんだーーーー!!!!
離婚騒動の原因は、夫の「余裕のなさ」。そして経済的不安が夫の精神を落ち込ませていたことが根本にありました。
正直、義母にかかる経済的負担がなければ、私は専業主婦のままでいられたかもしれないし、レジャーや旅行など、ほんの少しの「息抜き」を楽しめる余裕もありました。
けれど現実は違います。
義母にかかる費用は莫大。
息抜きに使えるお金なんてなく、
さらに介護、病院、そして数々の手続き…。
時間も、体力も、気力も、削られていく一方です。
そんな中で義母が心配していたのは、
「自分のこれから」だけだったこと。
その言葉を聞いて、私は呆れてしまいました。
それでも…
私は義母を家に迎え入れてしまいます。
そして、できる限り、優しく接しています。
それは、やっぱりどこかで
病気になったのは、義母のせいじゃない。
と分かっているからです。
義母は、本当に優しいお姑さんでした。
7年も子どもに恵まれなかった私に、
一言も焦らせるようなことは言わず、
双子を授かったと伝えた時には涙を流して喜んでくれました。
妊娠中はもちろん、産後の不安定な日々も、毎日家に来て、双子の世話と私への気遣いに尽くしてくれました。
もちろん、毎日顔を合わせる中で、
些細なモヤモヤはたくさんありました。
それでも、あの頃の私にとって、義母の存在は本当に心強かった。
感謝の気持ちは、忘れることはできません。
だからこそ思ってしまうのです。
「義母にとって、何が一番幸せだろう?」
たとえば、孫の成長を近くで見守れること。
それが、義母にとって一番うれしいことなのではないかと。
でも、やっぱり――これはとても難しい問題です。
義母への感謝と、今の私の現実。
夫の協力が得られない中での双子育児。
介護、そして夫のうつ病。
これから私は、
「誰のために」「何を優先して」生きていくのか
もう一度、ちゃんと考えなくてはいけないと思っています。